49.鏡の中は日曜日(殊能将之/講談社)
総評:★★★★★
オススメ:アンチミステリを楽しめるあなたへ。(多分)麻耶雄嵩が好きな人なら趣味に合うと思います。
あらすじ(引用)
梵貝荘と呼ばれる法螺貝様の異形の館。マラルメを研究する館の主・瑞門龍司郎が主催する「火曜会」の夜、奇妙な殺人事件が発生する。事件は、名探偵の活躍により解決するが、年を経た後、再調査が現代の名探偵・石動戯作に持ち込まれる。時間を超え交錯する謎。まさに完璧な本格ミステリ。続編「樒/榁」を同時収録。
「美濃牛」を読んであまりに衝撃を受けたので、再読。
殊能将之は麻耶とは違うアンチミステリというか、ミステリという形式主義に挑戦していて毎度読後感がすごいのだが、今作も非常によかった。
麻耶が破壊・カタストロフがテーマだとすると、殊能先生は再定義・多面性という感じ...いや二人で対になっているとかではないし、殊能先生はまだ掴めてないんで難しいんだけど...
ネタバレしないと語れないことが多すぎるので、詳しい話はそちらにて。
因みに、本作は「美濃牛」のあとに読んだ方が衝撃が大きいです。とはいえ、直接のネタバレがあるわけではないので、自分のようにいきなり本作を読んでしまってからでも大丈夫。
あと個人的には「ハサミ男」も事前に読んだ方がいいかもな、と。物語として関連性はないが、まぁ殊能将之の出世作かついろんなところでネタバレされるので。
※以下、ネタバレあり感想(ハサミ男の致命的なネタバレを含みます)
実質、ハサミ男のリメイクですね笑(失礼)
本作も叙述ものと聞いて読んでたのでかなり用心してたんだけど、まさか探偵が女性とは思わなかったし、ハサミ男と全く同じ「先入観」を利用した叙述だったのに、うーん、少しも思い至らなかったのがめちゃくちゃ悔しい...!
あとプロローグがエピローグになってるところは(以下同作者のミステリ作品タイトル)美濃牛(ここまで)とも同じ。こういう手法が好きなんですかね、殊能先生は...
美濃牛のプロローグは読み終わった後に再読するとめちゃくちゃビターというか読後感が悪くて最高なんだけど(悪趣味)、本作のプロローグは再読するとなんというかじんわりと感動しちゃうよね...
アルツハイマーでほとんど廃人状態になった誠信が、それでも最愛のユキのために殺人を犯してしまう。人生の終末、声も発せず手も動かせず、意識が朦朧とする中、思い出していたのはユキの決め台詞。愛だね、愛!!!
さて、冒頭で「探偵が女性であることに気づかなかったのが悔しい」と述べたが、(いろんなところで散々批判されている通り)この作品はめちゃくちゃアンフェアである。まともに推理できるわけがない。
①プロローグの「ぼく」がいる場所と、石動が訪ねて行った梵貝荘の誤認
一番言われてるやつ。ホームヘルパーさんと石動の会話が全く一緒なのだが、これはただの「偶然の一致」という。いや〜それはないでしょう笑
②プロローグの「ぼく」が節々で思い出していると思われる事件の回想が、「梵貝荘事件」の書きぶりと全く同じ
地の文まで一言一句違わず回想されるなんてことある???誠信がこの小説を読んでいたってことになるけど、単行本化されてなくて石動でさえ全話追ってなかった話なんでしょ?読んでないと思うなぁ...
ここを真面目に考えるとどうしても、「ぼく」=「水城優臣」になってしまう気がする。
まぁ粗探しはともかく。本作の見所は何といっても、入念な「名探偵殺し」に尽きると思う。
(1)まず前段で、「美濃牛」の名探偵役であった石動を物理的に殺し(たように見せかけ)
(2)中盤では、「水城優臣」が廃人になってしまった(=精神的・頭脳的な死)のではないかとミスリードし、
(3)最後には、水城優臣=水城優姫であることが明かされ、名探偵は一人の女性として、「名探偵の役割から降りてしまった」ことが分かる。
このグラデーションが見事で、(1)(2)とも「名探偵の死」ではあると思うんだけど、「名探偵を信奉するもの」(「ワトソン」であり読者の私たち)にとって最も衝撃的かつ本当の死は(3)であることに気づかされるような仕組になっている。
名探偵とは、その命や頭脳を依り代としたものではなく、「役割」そのものなのであると、殊能先生はこの作品を通じて説いているのである。
「名探偵とは」を問いかけるミステリはいくつも存在する(以下反転で、麻耶雄嵩の「翼ある闇」「名探偵木更津」の致命的なネタバレを含む)。
例えば、アンチミステリの極北、麻耶雄嵩はなんならデビュー作「翼ある闇」で(1)にあたる「メルカトル鮎」の殺害をやっているし、(3)「名探偵の役割とは何か」については「名探偵木更津悠也」「貴族探偵」「神様シリーズ」が良い比較対象になる。香月ではなく、なぜ木更津こそが名探偵たりうるのかといえば、「実際に推理をする頭脳をもつからではなく、名探偵としての資質を持ち役割を果たす人物であるから」というのが「名探偵木更津悠也」の結論であるし、神様シリーズや貴族探偵でも「名探偵の定義」を根幹から問いただすような設定になっている。
(ここまで)
それらと比較しても、やはり本作が白眉なのは、「ミステリという文脈における絶対的な立場の名探偵(A)」と地続きのものとして「凡庸でどこにでもいるような人間(B)」を描き切った点であり、効果的に大きなカタストロフを読者に与えるかたちでAとBをつないでいる。「理想の名探偵から勝手に降りてしまった優姫を永遠のものとするため、殺害しようとした」という鮎井の異常な動機を、読者もきちんと追体験して理解できる骨組みになっているところが面白い。
本作は語りたいことが色々あって、感想を書くのがなんとなく難しかったのだが(というかまとまりきらない)、とりあえずこんなところで。
殊能先生はもうちょい読んでみるつもり。こんなに凄まじいポテンシャルを秘めた作家なのに、若くして亡くなってしまったのは本当にミステリ界の大きな損失です…。