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日々雑感(ミステリ感想中心)

ボーはおそれている(アリ・アスター/2023年製作/179分/R15+/アメリカ)

番外編13.ボーはおそれている(アリ・アスター/2023年製作/179分/R15+/アメリカ)

オススメ:「恐怖」とは何なのか、実験的なホラー作品。グロい映像は少しあるけど、そこが本質ではないしジャンプスケアもほぼなし。ただ、好き嫌いが激しく分かれそう。

 

あらすじ(引用)

日常のささいなことでも不安になってしまう怖がりの男ボーは、つい先ほどまで電話で会話していた母が突然、怪死したことを知る。母のもとへ駆けつけようとアパートの玄関を出ると、そこはもう“いつもの日常”ではなかった。その後も奇妙で予想外な出来事が次々と起こり、現実なのか妄想なのかも分からないまま、ボーの里帰りはいつしか壮大な旅へと変貌していく。

 

 

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※この映画は先入観なしで見た方が面白い作品なので、前半にあらすじとネタバレなし感想、後半にネタバレあり感想の順で書いています。

 

映画の感想ってこれまでこのブログに投稿したことないよね。

正直実写映画は全然詳しくないんだけど、この作品は私と同じタイプのミステリ好きならちょっと刺さるかも?と思ったので、番外編として投稿しておこうかなと。ちなみに映画ド素人の箇条書き感想なので、ホラー映画ファンの人とかにはあんまり参考にならないと思います(いや普段の投稿も、別にミステリ好きの人に参考になるか怪しいけど笑)

 

前提から話しておくと、自分は「不条理」をとても怖く感じるタイプで、「きちんと理屈のあるホラー」は面白いけど「怖く」は感じない方。ジャンプスケアや大きい音、過激なグロ映像で驚かせてくるホラーは、(驚かせ方が不快なので)個人的には好きではない。

 

まず、「ボーはおそれている」の前に、「ミッド・サマー」の話をさせてほしい(長いので、興味ない人は赤文字までスクロールしてください…)。

2019年にアリ・アスター監督が世に放った「ミッド・サマー」は、ツイッターでバズったからという理由で気楽に見に行ったんだけど、ホラー映画を普段見ない(怖くて見れない)自分にとっては画期的だった。

いわゆる「因習村」系のホラーなんだけど、グロもあるし結構人死にも出るし不安に思わせる演出も山盛りなのに、なんでかあまり怖く感じなくて、それを自分なりに考察していった結果、「ミッド・サマー」は全ての事象に理屈が立ちすぎてて「条理」だからだということに気が付いた。

私はミステリが大好きなんだけど、ミステリって「意味の分からないことを最終的には全部理屈で説明してくれる」構成だから、安心するんだよね。伏線が張られている作品が好きなのも同じ理屈で、「世界は歯車で動いてる」のを見るのが好きなんだと思う。

一方で(私にとっての)ホラーはその逆で、「意味の分からないことが、最後まで意味が分からないままで終わる」。何ならよくできたホラーは伏線を張った上で、理屈に合わないことが起きて「なんでなんでなんで」と思って終わる。いやもう、最低最悪です(ホラーとしては最高の誉め言葉)。

で、ミッド・サマーは、なんというか人工的な「因習村」というテイストがあって、合理的に話が進む(と少なくとも自分は感じた)。大好きな「伏線」「暗喩」がちりばめられていて、たくさんの人が考察しているのを読むのが楽しかったし、ミステリを読み解くのに近い興奮を感じた。ほぼ広義のミステリといっても過言ではない(過言です)。

もし「ボーはおそれている」に興味を持っているのであれば、まずは「ミッド・サマー」から見てもらいたい。グロはあるし、鬱病への描写がきめ細かいのでそういうのに引っ張られるタイプの人にはきつい映画だと一般的には言われているので、苦手な人はいるかもしれないけど、少なくとも、「これは伏線を読み解くストーリーだ」と思ってみる分にはかなり面白いと思う。不安だったら字幕の方がいいかな。無理だ、と思ったら字幕を読まなければいいので。

 

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やっと本題。「ボーはおそれている」の感想です。

もう一度観たいかと言われるとあんまり見たくないし、3時間があまりに長く感じたしんどい映画。「ミッド・サマー」は「鬱病傾向の人は引っ張られるから勧めない」って言われていたけど、「ボーはおそれている」はそういう人にはもっとお勧めできない。発狂するんじゃないかレベルで、「人が持っている漠然とした不安」を次々と見せてくる作品なので。

友達と見に行ったんだけど、「映画館に3時間拘束されて延々と(精神的に)不快な映像を見せられて、身動きもできない、この状況が一番ホラーじゃないか」と笑い話になったくらいには、まぁつらい映画ですよ。不安に思ってる人は配信で見た方がいいけど、映画館で見ないとこの恐怖は味わえない。

でも、いわゆるジャンプスケアはないし、アリ・アスター監督作品に求めていたものがお出しされたので個人的には大満足だった。

とにかく「怖いとは根源的に何なのか」を深掘りしてて、表現の仕方に感心する。個人的には、ミッドサマーより刺さったかもしれない。若干ネタバレっぽくなっちゃうかもしれないんだけど、「主観に偏った作品」が好きな人にはわかってもらえるんじゃないかな。他人から見える世界や感情って100%は理解できなくて、私から見える視点や語る話は絶対に私の主観が入る。その「主観」をテーマにする話が大好きなんだよね。端的にはメタ作品が好きってことなんだろうけど。

 

 

 

※以下ネタバレあり感想

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、「信頼できない語り手」を描いた作品が好きなんだよね。

言っちゃえば、「ボーはおそれている」はどこまで現実でどこまで妄想なのか分からない作品なんだけど、「実際には何が起こっていたのか」を考えるのが面白い。

 

観た後で感想サイト回ったら、いろんな伏線気付けてなかったし恥ずかしい限りなんだけど、いやほんとに画面の端から端まで計算してつくられてて面白かったなぁ。

 

以下はだいぶ偏った感想の羅列です。なお、考察力が低すぎるので、「どこまで妄想だったのか」みたいなことは全然考察できてません。

 

・まず、音の使い方が上手いというか嫌な感じだった。視覚は目を背ければ観ないで済むんだけど、音は耳を塞ぐわけにもいかないので逃げられなくて、映画館で見ると余計にきつい。

・母親の葬儀の後、久々に会った初恋の人に、自分からキスするまでがめちゃ尺とってしっとりさせてるのに、そのあとパッと場面変わってもうセックス始まってるの(しかもムーディーな曲までかけてくれる)おもろすぎるだろう...しかもモザイクめちゃめちゃかかってるし...

・屋根裏で見つけた死んだはずの父親が男性器の化け物になるシーンはさすがに笑った。なんやあれ。

・でも全体的に、男性でないと怖さが分からないのかもしれない。化け物も、セックスしてたら恋人が死ぬのも、正直コメディパートに見えちゃったけど、人によっては「怖い」のかな。

・幼い頃は庇護者であり命を握る人であり支配者である、絶対的な存在である母親が、いつまでも自分を監視し縛りつける。反抗期をうまく通過することができなかった。「母親の死を願ったことは?」というセラピーの先生。生みの親(自分の存在を決定づけた者)であり、無償の愛を与えてくれた母親を、子供は自立のために、いつかは乗り越えて「殺さないと」いけない。でも暗黙のルールで、そんなことを口にしてはいけない。「正しく」あるためには、母に呼ばれたらすぐ家に帰り、母を愛し返し、葬儀があればすぐさま駆けつけなくてはならない。「そうあらねばならない」強迫観念は、「怖い」。
・誰かに追われる、突然大きな音が鳴る、刺される、グロテスクなものを見るなど、死の危機に瀕することは、生物として当たり前の「恐怖」。

でもこの映画で描かれているのは、「母親の支配、そこから逃れることを禁止される」恐怖、「人々に常に見られている」恐怖、「家族を作りたいのに(子孫を残したいのに)自らが劣っているために作れないかもしれない」恐怖、「誰からも愛されない」恐怖、「立派な大人であるはずなのに、何も一人で決められない、それを指摘される」恐怖、社会で生きる人間であるが故の、人間が勝手に生み出した「恐怖」ばかりが描かれていて、ホラー映画の定義を問いただすようなところが特に面白かった。

この映画を見て、どうして「怖い」「不快だ」「不安になる」「気持ち悪い」と感じるのか、この恐怖こそが我々が社会性を持った人間である証拠だと思ったアリ・アスター監督作品に通底するテーマだと思うんだけど、この映画も「常識や倫理から外れること」に対する怖さを描いているのかもしれない。なんで怖いんだろう。

夏目漱石の「自己本位」や芥川龍之介の「漠然とした不安」のことを思ってしまった。中世までは産み落とされた境遇に従って生きることも許されたのに、近代以降「個人」「自由」の概念が確立してから、「自ら選ぶこと」を強制され、それができない者は病気扱いされる。つらくて息苦しい。この映画、アメリカだとボーがあまりに受け身すぎてヒットしなかったらしいんだけど、アメリカ社会しんどいオブしんどいわ...

 

以下、個人的に参考になった感想・考察サイトさんの紹介(備忘録です)。

 

映画『ボーはおそれている』感想|るい

『ボーはおそれている』では、不条理な現実をむしろありのままに描いており、それが「ホラー映画であるかのように見える」というのはあまりに希望がない。

言語化が上手くて、めちゃめちゃに頷いてしまった。

 

【感想87】ボーはおそれている|すいぱん

受け身なボウが振り回されていると思いきや、母親から告げられた「ボウは無自覚で受け身であることを演じている」という糾弾から一気に話の構造が見えてくる。
もう一度見ないといけない理由も、今まで見ていたボウに対する奇妙な行動をしてきた人たちは本当にボウは何もしていないのか?ていう疑念をさらに深く考えるための材料が必要になってくるから。

観終わった後、「お母さんが実は生きていた」ということすら現実のことだったのか?ボーの妄想だったのか?と考えこんじゃったんだけど、どこまで妄想だったのかをまじめに考察するうえで、すごく参考になる感想だった。

 

ネタバレ考察『ボーはおそれている』何が現実で何が〇〇? 8つの伏線を読み解く | VG+ (バゴプラ)

ボーの前に再び現れたエレインは、先週までモナのMW社で働いていたと明かす。単にモナが死んだからエレインはもう社員じゃないと考えているとも捉えられるが、ボーのリアクションが引っかかる。エレインはモナ死去のニュースに登場しており、ボーもそれを見て驚いていたし、その前のシーンの社員で構成されるモザイクフォトには、真ん中にエレインが写っていた。そして、エレインがもうMW社で働いていないと知った時、ボーは困惑する様子を見せている。

このサイトさんが一番深く考察していて、全然気づかなかった伏線をめちゃめちゃ拾ってくれてるので感動した。ただ、考察がすごすぎるので、できたらこちらを参照する前に一度自分で反芻した方がいいかも(いきなり解答を見ちゃうと面白くないというか、自分の初見感想を大事にした方がいいと思うから)。

余りに伏線がきっちりしていると、「おそれ」が少なくとも彼の中では非常に整合的であることを補完しててより怖い。