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日々雑感(ミステリ感想中心)

向日葵の咲かない夏(道尾秀介/新潮社文庫)

43.向日葵の咲かない夏(道尾秀介/新潮社文庫)

総評:★★★★★

オススメ:何も事前情報を入れずに読んでほしいミステリ。とにかくおすすめ。一気読み推奨。

 

あらすじ(引用)

夏休みを迎える終業式の日。先生に頼まれ、欠席した級友の家を訪れた。きい、きい。妙な音が聞こえる。S君は首を吊って死んでいた。だがその衝撃もつかの間、彼の死体は忽然と消えてしまう。一週間後、S君はあるものに姿を変えて現れた。「僕は殺されたんだ」と訴えながら。僕は妹のミカと、彼の無念を晴らすため、事件を追いはじめた。あなたの目の前に広がる、もう一つの夏休み。

 

タイトル通り、爽やかなジュブナイル小説

時々不思議な設定がまかり通っているものの、それが主人公ミチオくんの世界をより鮮やかなものにしていて、不思議な手触りのミステリといえるだろう。

夏休みを忘れてしまった大人たちにオススメの作品。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

...とか言っておけば、何人か騙されるだろうか。笑 嘘ではないです。

いやもう。これは事前情報入れずに読むのが正しい作品。個人的には間違いなく問題作なので、気になる方は是非読みましょう。仮に受け入れられなくても心に残る作品になると思う。

「本当に面白いの?」という疑り深い人のために、ネタバレなしでもうちょっとだけ感想を書きますが、勘のいい人は本作の本質に気づいてしまう可能性が高いので、とにかく本屋に向かった方がいいです

 

 

 

 

 

 

 

イヤミスで有名な作品だったので、初っ端から色んな可能性を疑いながら読んだがころっと騙された。うーん、なるほど。私これ、知ってるわ(ネタバレ感想で言及)。

ミステリとしては結構際どい気がしたので、感想をググったらやっぱりその辺で論争があるみたい?  いや、奇麗な作品だし個人的にはかなり好きだけど、純文学寄りかなあ...サイコホラーという分類になるのも分かる(一応反転)。

あと、やっぱり登場人物たちが魅力的なのがいいんだよな。

冒頭でもちらっと書いたとおり、ミチオくんの視界が非常に鮮やかで色彩豊かなんだよ。

可愛い妹のミカちゃん、死んで蜘蛛に生まれ変わったSくん、不思議な力を使って推理を助けてくれるコト婆ちゃん。

主人公の家庭環境は少し歪んでいるし、Sくんはいじめられていたが、そういった暗さと対比されるような不思議で危うい探偵ごっこ

ジュブナイル小説のお手本とでも言えるんじゃないかというキャラ配置に、いやもう...すっかり騙された。なんかね、バランスが良いんだよ。

 

序盤から色んな謎が明かされるし、それがどんどんひっくり返されるから、早く続きが読みたくなる。そして明かされる衝撃の結末と、じっとり薄気味の悪いエンディングはお見事。

これ、タイトルは完全にミスリードだよなぁ。読後に意味は分かるんだけど、ぱっと見爽やかそうなんだもん。人に勧めたくなる作品。

 

 

 

 

※  以下、ネタバレ感想

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いきなり他作品のネタバレになるので伏せるけど、(以下白字反転で、某有名鬱ゲーのR18エロゲ作品のタイトル)「さよならを教えて」(ここまで)だよね。

因みにゲームが2001年発売、本作品の刊行が2005年11月。作者、もしやこのゲームやったことあるのでは?笑

 

そういうわけで、終盤にミカがトカゲに生まれ変わった云々で、今までの語りが全てミチオによるミチオのための「物語」だったことは、すぐに理解した。

いくつか感想サイトを回ったら、その辺を分からずに「本作はファンタジー作品」と理解している読者もいたのが残念。生まれ変わり云々が丸っきり「ミチオの妄想世界」だというのが本作のポイントなので、それはいくら何でも国語力なさすぎでしょと思った。この作品、現国の試験に使ってもいいんじゃないか?笑

特に、お母さんが人形をミカだと思い込んでいる設定が秀逸。

本来、この設定のおかげで、ちょっと鈍い読者でも「ミチオもお母さん同様に死んだ人間を別のものに見立てて生きていると思い込んでいることに気づくようにさせたかったんじゃないのかなぁ。人形に生まれ変わった、はさすがに輪廻転生モノとしても無理があるだろうから。

もちろん、お母さんの設定は叙述トリックを補強する意味もある。ミカのスカートを直してあげたり、お化粧してあげるシーンなんかは、「少なくともミカはヒトの形をしている」ように読めるため、Sくんが蜘蛛に生まれ変わったことと繋げて考えるのを妨げる。

私もまさにこれに引っかかった口で、叙述トリックものだと知っていた上に

①冒頭からミカが死んでいる、

②ミカの受け答えが3歳の割にはしっかりしすぎ、

③ミカの容姿に関する描写が少ない、

の三点から「ミカは人間ではない(遺骨だと思っていた)」という予測はあった。でもお母さんの行動がネックで、ミカの年齢誤認かな...と考え直しちゃったんだよね。惜しい。

 

因みに、ミカ年齢誤認説は割と本気で考えてて、

岩村先生と駅で会った時に駅をさっと教えてくれた

②ミカがお腹を痛めて休む描写(生理痛?)

③お母さんの「ミカって呼ぶんじゃない!」というセリフや、Sくんとミカが仲良くすると主人公は嫉妬したり、ミカの指を舐めたりするシーン

→ミチオはミカを3歳として扱うものの、本当は16〜18くらいの美少女?、などと想像していた。

まぁ、今考えるとミカの年齢誤認させてもあんまり意味ないんだけど...だからミチオも実は18歳くらいで、学校に行ってる描写は回想シーン、今でもランドセル云々してるのはミチオ内の時が10歳あたりから止まってしまっている?とか考えてた。無理があるな。

叙述トリック読みすぎでだいぶ深く考えすぎてたんだよね...ミチオの名字が出てこないから、上の年齢誤認と合わせて「六村って作者が実はミチオなのでは」とか、「ミチオは二人いて岩村先生もミチオなのでは?」とかね...

 

間違い推理を長々と書きすぎました。

 

閑話休題。「実はトコお婆さんが人間じゃない」っていうのも中盤まで予想していた。

小父さんが精神を病んでる人じゃなくても、年老いた猫のことを「〜婆ちゃん」って呼ぶのは有り得そうだしミカやSくんも話を合わせてくれそうだし。でもテレビのミスリードがいやらしいよね...猫の遺体なんか普通放送しないから、ニュースに映ったのは人間だと思うじゃん。あれはちょっと反則気味。

 

今回の叙述をまとめると以下の通り。

①蜘蛛の「S君」

「S君」だけは主人公が「蜘蛛」だと認識しているため、その他の「生まれ変わり」を人間のように描写していることからのミスリードになる。一方で、ミチオが「生まれ変わり」を信じていることを最初に提示することでアンフェアを防いでいる。一番の設定の妙。

「大声を出したらお母さんにバレちゃう」などのミチオのセリフも、蜘蛛が本当にS君であるかのように思わせる。また、トコ婆ちゃんに蜘蛛を見せるシーンも後述するが上手い。

 

②猫の「トコお婆さん」

この種明かしまでは、まだミチオの崩壊ぶりが分からない。やや狂気に満ちた説明ではあるものの、読者にも理解できる範疇。

以下、分かりやすいミスリードの引用

「どこ行くつもり」

「ちょっと……トコお婆さんの家に」 

お母さんはふいと眉をひそめた。それから「ああ」と唇を曲げる。

「あのキチガイのところ」

キチガイ=怪しげな呪文を唱えるトコお婆さん」ではなく、「キチガイ=猫を生まれ変わりと信じている麺の小父さん」(人形をミカに見立てているお母さんなので、「お前が言うな」というところもいいミスリード…)。しかも小父さんは一見、「キチガイ」には見えない。

 

そのまま、一分近くが経った。僕とミカとトコお婆さんが、三人で黙り込んでいるのを不思議に思ったのか、商店街に出入りする人たちがちらちらと僕たちの顔を覗き見ていくのがわかった

他のシーンでもさりげなく「〜人」(実際はミチオ一人)という表現はあるが、ここ、アンフェアと取る人もいるんだろうなぁ。猫とトカゲに話しかけているミチオくんはそりゃ周囲からは不思議に見えるだろう。

 

「また来てくれたのねえ。お婆さん、嬉し――」 

唇に人差し指をあてた僕の仕草に気づいたらしく、トコお婆さんはそこで言葉を止めた

岩村先生はふたたび前に向き直って歩き出した。どうやら見つからなかったようだ。

 猫であり人語を喋るはずがないのだが、岩村先生にも「トコお婆さん」の声が聞こえてしまうと思い込んでいる。「S君」のシーンもそうだが、ミチオの妄想の完璧さはこういうところに現れている。

 

「何だいこれ、蜘蛛かい? 蜘蛛が喋るのかい?」 トコお婆さんはS君をまじまじと見る。両眼が、完全に丸くなっている。

「そう――じつはね、お婆さん。これがS君なんだ」「はあ?」

 前述の「S君」の補強。他にもあるが、ミチオの妄想同士が喋るシーンは本当に良いミスリード。「全員犯人」ならぬ「全員人間じゃなかった」なんて誰が思いつくんだよ。

 

③トカゲの「ミカ」

個人的には、泰造との対峙シーンよりミカが蜘蛛のSくんを食べたシーンで薄々正体が分かったしゾクッとした。それにしても、「岩村先生にミカの姿を見られたかもしれない」のシーンとかほんと卑怯すぎるだろ...…まぁトコお婆さんのことを考えると今に始まったことじゃないけど。

なおかつ、「ミカ」はお母さんにとっては「人形」なのでうまく隠されている。この一家のお父さんが「カメ」になるのも頷ける。

 

④カマドウマの「お爺さん」

もう叙述トリックは明かされた後なんだけど、そこで終わらないのが本作の凄まじい点。「どうやって「ミカ」や「S君」が生み出されたのか」がここに至って読者に知らされる。読者は今まで泰造視点も読んでいただけに、ミチオの作り上げた歪な「泰造」にもなかなか恐怖するのではないか。

 

因みに、トコお婆さんがミチオが答えを知らない電車の問題を出したり、事件のヒントをくれたり、ミカが駅名をとっさに教えてくれるなど、「ミチオの知らないことをミチオの創造物が教えてくれる」シーンを不自然に感じられる点があるかもしれないが、この「カマドウマになったお爺さん」(=ミチオの妄想=ミチオの自問自答)との会話で交わされる部分で真相の一端が垣間見える。

 

「ミチオ君、もう少しだけ、教えてくれるかい? S君が蜘蛛になって、きみのもとに現れたとき、どうして彼はきみに、自分は殺されたなんて言ったんだろう。そして、どうして自分の死体を探して欲しいなんて、きみにお願いをしたんだろう」

質問の意味が、よくわからなかった。お爺さんはつづけた。

「だって、わざわざそんな面倒な話に持っていかないでもいいじゃないか。... 何故、きみはそんなことをしたのか――私は、それが知りたいんだよ」

 

ミチオは、最初から全て分かっていたのだ。

「トコお婆さん」の謎々の答えも、「ミカ」がとっさに教えた駅名も、「S君」の教えてくれた情報も、そして事件の真相も分かっていて、自分のために物語を作った。

岩村先生がおかしいことも分かっていたのだが、唯一「S君が本当にイタズラされていてビデオまで撮られていた」ことだけは物語に組み込まれていなかったため、「ミチオのための物語」は少しずつずれていった。

そして根本的な最初の「ズレ」に当たる「お爺さん」がカマドウマになったことで、ミチオの完全な物語が現実に飲み込まれていく。いや、現実が物語に飲み込まれていっているのかもしれない。その境界が、まさに溶解していっているシーンが、上の会話に当たるのではないか。即ち、ミチオの中で「全て分かった上で目を瞑って物語を作るミチオ」と「現実に目を向けようとするミチオ」が戦っているのだ。

その結果が、あのエンディングとするとなかなか凄惨なものがある。

決着をつけるために焼身自殺しようとしたものの、逆に両親を殺すことになり、「現実のミチオ」は「物語のミチオ」に敗北するのだ。

 

しかし、この物語の面白いところは「歪んだ少年愛を隠す小学校教師」「人形を娘だと信じきるお母さん」「猫を母親と信じきる小父さん」「足を折る恍惚に取り憑かれたお爺さん」など、殆どの人物が異常者である点だ。

人は誰しも、自分だけの物語を持っている。誰しも、自分の見たいものだけを見て、それだけが真実だと信じ切っている。ミチオが狂っていると指摘できるものは、果たしているのだろうか?

 

結局のところ、「ミチオは狂っていない」物語だという点が本当によく出来た純文学なのではないかと勝手に感銘を受けた作品である。