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日々雑感(ミステリ感想中心)

神様ゲーム (麻耶雄嵩/講談社文庫)

22.神様ゲーム麻耶雄嵩講談社文庫)

総評:★★★★★

オススメ:取り敢えず読んでください。児童書と思ってなめてかかると火傷します。

 

あらすじ(引用)

自分を「神様」と名乗り、猫殺し事件の犯人を告げる謎の転校生の正体とは? 神降市に勃発した連続猫殺し事件。芳雄憧れの同級生ミチルの愛猫も殺された。町が騒然とするなか謎の転校生・鈴木太郎が事件の犯人を瞬時に言い当てる。鈴木は自称「神様」で、世の中のことは全てお見通しだというのだ。そして、鈴木の予言通り起こる殺人事件。芳雄は転校生を信じるべきか、疑うべきか?

 

最高。麻耶雄嵩は神だった。

ありがとう。今まで『螢』を書き上げてくれただけでも素晴らしい作家だと思ってたけど、神に昇格しました(私内ランク付け)。これ児童書レーベルで出したとか、何も知らずに読んだ小学生が羨ましすぎるぞ。私も小学生の時こんな読書体験したかったーーー!!!リアル小学生時に、『僕と未来屋の夏』『ほうかご探偵隊』は読んだのにーー!!!確か割とどっちもほのぼの系じゃなかったっけ?!今慌ててググったけどどっちも日常の謎系だった。そうだよね。『神様ゲーム』が異常だよね。被害者もびっくりしたけど、犯人もアレだしね...

よくレビューに「小学生には読ませたくない」とか見かけたが、いやこれ小学生にこそ読ませるべき。小学生に対しても全く手を抜かない作品を作ってくれる麻耶雄嵩はすごい。これ読んだ小学生が未来のミステリ界を引っ張っていってくれ。

 

まぁ一応子供向けあって文章が易しくページ数も短いので、とりあえず読んでみてほしい。『翼ある闇』とかと違って、ミステリ明るくない人でも全然オススメできる珍しい麻耶作品だった。ただ、真相は全く小学生向きではないブラックなものなので、子供騙しと思わず読了することができると思う。

あとなかなか使えないあのフレーズを、自信を持って使える。

「ーー衝撃の結末が、あなたを待っている」笑

 

神様ゲーム (講談社文庫)

神様ゲーム (講談社文庫)

 

 

※  以下、ネタバレ感想

 

 

 

 

 

 

 

 

(先に言っておくと、私はこのレビューで例の犯人に関する推理・考察はしません。理由は後半で述べてます。基本的に、ひたすらこの作品の斬新さについてごちゃごちゃ書きます。)

 

初読の感想としては「ルール作り上手すぎ」って感じだった。いつもの如く、読了後色んな感想サイトを見にいったが『神様ゲーム』は特に考察が多くヒットした。まぁ当たり前か。何せ、推理したと見せかけて、本当の真犯人を指摘しっぱなしで幕引きとなるのだから。いや、『螢』以来の最高のカタルシスだったなぁ。

 

これ、新しいタイプの「読者への挑戦状」ってことだよね。

従来の推理小説なら「論理と証拠によって登場人物(=読者)を納得させる→犯人の指摘が正しいと分かる」という流れなので、「真犯人を指摘しっぱなしでおしまい」というのはそもそも作り得ないシチュエーションである。

というのも、「真犯人」が「真犯人」たる根拠がないからだ。仮に本書における鈴木君が単なる探偵役で、論理に基づく推理で犯人や真相を当て続けて、最後の真犯人についてだけ推理せず終わったら読者はこう考える。

「鈴木君の真犯人当てより、論理的に示された芳雄の推理のが正しいのではないか?」

「鈴木君は何か真実を隠そうとして偽の犯人を指摘したのではないか?」

こうなるともう「犯人は確定しているがその論拠は読者が推理せよ」という作者からの挑戦状は意味をなさなくなる。

そこを無理矢理ひっくり返したのが「神様システム」であり、私はこのルール作り(新しい文法の創造)に深い感銘を受けた。

これは、以前感想を書いた『密室殺人ゲーム  王手飛車取り』と同じ感動だと思う(レビュー:密室殺人ゲーム王手飛車取り (歌野晶午/講談社文庫))。というか本質は一緒なんじゃないかと。

密室殺人ゲームの方では実際の犯人が推理ゲームとして事件を提供するので、

①登場人物(=読者)を超越した視点から真相を知る人物「超越者」が存在し、

②犯人当てをする必要はなく、

③いかなる推理も①に該当する「超越者」が不正解と指摘すればそれは絶対である

という点が共通している。

箇条書きしてしまったけど、ポイントは「超越者」の存在。密室殺人ゲームでは犯人視点の導入によって地に足のついた「超越者」を創り出したが、神様ゲームではあろうことか「神様」とかいう新しい設定を造ってしまったわけである。その手があったか。

フーダニット排除と絶対的な真実を知るものの存在を利用して、『密室殺人ゲーム』はある新しい試みの「謎」を提供し、『神様ゲーム』は信じられない真犯人の存在だけを知らされた読者が自分の納得できる推理を追い求め続けなければならないという新しい推理小説の形を生み出した。ね、似てるでしょ?(そうか?)

 

さて、冒頭で述べた「私は真犯人に関する推理・考察はしない」宣言だが、まぁなんというか、本書は読者が自己解決するために自力で推理することを求めている一方で、合理的な推理がそもそも放棄されているように感じるのである。

何故そう思うかについては、同作者のデビュー作である『翼ある闇』のネタバレに関わるのでその部分は反転させておく。(レビュー:新装版 翼ある闇 メルカトル鮎最後の事件 (麻耶雄嵩/講談社ノベルス)

 

(ネタバレここから)

私は『翼ある闇』のレビューを書いている途中で本書を読んだので余計に結びつけたくなるのかもしれないが、この作品も「そういうミステリ」として解釈していいと思っている。

つまり、読者に知り得ない情報が真相の鍵になっている可能性である。

『翼ある闇』レビューの余談でも述べた通り、『翼ある闇』では「ひさ=絹代=アナスタシア」というトンデモとも思える推理を「母から聞いた」超越者・香月が語ることで、そのトンデモが真実ということになっており、『神様ゲーム』における「神様」ポジションだといえる。香月による真相は読者には絶対に推理不可能な材料を基にしたものである。こんな作品を書いた以上、少なくとも麻耶雄嵩本人に「ミステリだからって推理の材料が全て読者に与えられてるとは限らない」という発想がないわけがない。

(ネタバレここまで)

 

まぁ、『翼ある闇』が直接の根拠とは言えないけれども、麻耶雄嵩推理小説のアンフェア性にチャレンジした作品を書いているので、やっぱりその可能性は考えなくてはいけないと思う。

そもそも、「天罰が下ったから母親が真犯人」という前提自体読者の常識を超越したものである以上、やっぱり読者が知り得た情報が世界の全てであるという常識も疑ってかかるべきなんじゃないだろうか。

巷でよく見かけたお母さん真犯人説を支える推理は「井戸の蓋に隠れていた」というもので、大人が隠れられるのか?という疑問には「お母さんは小柄と記述がある」とか「小学生でも150センチある子供はいるから小柄なお母さんなら隠れられる」とかだった。

甘いよ。そんなまともな推理じゃなくてもオッケーだと思う。極端な話、「お母さんはものすごいジャンプ力の持ち主だったので塀によじ登ることなく外へ出れた」とか「実はお母さんこそが屋敷の持ち主である『鬼婆』だったので秘密の抜け穴を知っていた」でも、言及がない以上自由なんじゃないかと。だって、『翼ある闇』の(ネタバレここから)真相の方がよっぽどアンフェア(ここまで)なんだから。

要は「真実の真相」なんてものはどうでもよくて、「読者自身が納得する解決」を見出せればそれが推理小説では真相なんだよ(真相とは言ってない)(※1)みたいなことなんではないかと思った。なので、推理小説ながら推理部分にはあまり踏み込む気はない。むしろ形式的な部分において、ミステリの広がりを感じさせた神作品だったと思う。

早く続編の文庫版を買いたい!(※2)

 

(※1)書いてて思ったけど、この「推理小説だけど推理は放棄」感は『うみねこのなく頃に』にも近いような気がする。「あなたが信じた解決が真相です」感というか。ていうかまんまかもしれない。でも私、『うみねこのなく頃に』のオチは許せないんだよなぁ。何が違うのかは今後の課題にしておきます。

(※2)買いました。最高だった。あーもう、麻耶好き。大好き。レビューはまた今度。