44.名探偵に薔薇を(城平京/東京創元社)
総評:★★★★☆
オススメ:「名探偵」を再定義する一作。トリッキーなミステリを読みたいあなたへ。
あらすじ:
怪文書『メルヘン小人地獄』がマスコミ各社に届いた。その創作童話ではハンナ、ニコラス、フローラが順々に殺される。やがて、メルヘンをなぞったように血祭りにあげられた死体が発見され、現場には「ハンナはつるそう」の文字が……。不敵な犯人に立ち向かう、名探偵の推理は如何に? 第八回鮎川哲也賞最終候補作、文庫オリジナル刊行。
...ちょっと期待値上げすぎたかな。
いろんな意味でトリッキーかつ魅力的な謎を提示し、さらに文章も読みやすいので普通に良い作品なんだけど、うーん...ミステリとしてはあと一歩惜しい感もある。
というか、私が超捻った構成を期待しすぎてたんだけど。この作品のすごいところは、変な荒業を使わないでしっかり新しいミステリにチャレンジしてるところなんだよね。
そもそも本作に興味をもったきっかけは、この本が「「名探偵とは何か」を問う新しい趣向のミステリ!」と紹介されてたからでして。
で、自分は(ご存じの通り)麻耶の大ファンなのでメルみたいなアンチミステリを想像して読み始めたら、そういうタイプのミステリじゃなくてちょっと期待はずれだったっていう。
新しいけどアンチではないね。いやでも、麻耶のやり口はやっぱ邪道だからな...本作品の方は至極真っ当なんで、ぜんぜんダメではないです。麻耶嫌いでも読めます。壁本的なアンチミステリでは全くないので、そこは安心してほしい。
あと、帯の煽りにもなってたからネタバレじゃないと思うけど、本作は二部構成になってて、そこがポイントになっている。読み手としては目次を見た段階で当然色んな想像を働かせてしまうんだけど……そこでも期待値上げすぎた感はあるね。ごめん。
でも、どんでん返しはきっちり作ってあるし構成の妙も光っているので、読んで損はないかと。ちょっと名探偵のキャラがラノベ感あるな〜と思ってたらこの作者、絶園のテンペストの原作やってた方なんですね。そっちも興味湧いた。
追記)スパイラルの原作もやってんじゃん!!!まじかよ!!中学生の時に読んだよスパイラル!!!あ〜でもそうすると、なんというか名探偵の存在を問いただすようなあの展開やらちょっとあざといキャラの作り方も納得いくな...なるほど...
※ 以下、ネタバレ感想
薔薇とか言っといて百合やんけ!!!!!!百合大勝利!!!大勝利です!!!!!
という、私の超個人的な感想は置いといて。
なんといっても、第2部の二転三転する真相がお見事。感想をググると、犯人だった鈴花の動機がやっぱり注目されてるね。
死ぬかもしれない手術の前に名探偵に一目会いたくて、最も完璧な毒薬を最も下手くそな使い方をして事件を起こしてしまう。うん、まぁ、初版発行が1998だし当時としては斬新な動機なのかな?
ごめん、正直私はあんまり驚けなかったです。っていうのも、異常なホワイダニットは最近他でも読んじゃったからなぁ...
というかまぁ、被害者の背景が出てくる前まで「殺される理由のない被害者」&「明らかに「気づかれようとして」作り上げられた事件」って点で薄々「事件を起こすこと自体が目的っぽいな」と気付いてしまったので。一応、被害者が実は荘一郎を脅迫していて...のくだりにきて、上記の説は一旦頓挫したんだけども、やっぱり第一印象でぼんやり核心に近づいちゃったから衝撃は減ってしまった。うーん。
それより、個人的に本作品が面白いと感じた点は、「情報のカードが増えるたびに名探偵による真実が変わってくるところ」なんだよね。
当たり前っちゃ当たり前だし、他の作品にもよく出てくるテーマではあるんだけど本作は特にそれを感じた。名探偵のせいで事件が発生してしまうという部分も含めて、本作品全体を通じて後期クイーン問題を扱ってると思う。
...いや、後期クイーン問題、wikiでしか知らないんでめっちゃ知ったかぶりになりますが…笑
ざっくり言うと、
①名探偵の推理の正しさは作中内だけでは保障できない
→「嘘の証言」や「明るみになっていない情報」がないという証明が、作中内ではできないから
②名探偵の推理が及ぼす影響とその是非
→名探偵の存在自体により引き起こされた事件や、司法機関ではない名探偵の推理によってもたらされる結末などについての是非
というのが「後期クイーン問題」です(解釈諸々間違ってたらすみません)
本作品は、ホワイダニットが②に当たるしインパクトあるんだけど、個人的には①も見逃せないと思うんだよね。
瀬川はこの世界における「名探偵」なので推理は真実ってことになるんだけど、与えられる情報が増えるたびにその推理が変わる。当たり前だけど。
条件Aと条件Bがインプットされれば、合理的解釈によって、犯人αが導かれる。ところが条件A、B、Cがインプットされると、同じ合理的解釈を通じても、犯人βが導かれてαは偽の真実だったことが分かる。
読み手である私たちは、ページ数や読者への挑戦状をみて、ああもうこの事件の条件はこれで出揃ったと分かるけど、小説内世界の探偵には条件が出揃ったかは分からない。
ものすっごく極端なことをいうと、「鈴花が瀬川に会いたくて事件を引き起こした」真相だって、もしかしたらさらにもう一つ条件が加わることで新しい真相が見つかるのかもしれない。それは、少なくとも瀬川にとってはいつまでも答えが出せない。
作者的には多分どんでん返しを作りたかっただけなんだろうけど、ああいう構成にされちゃうと正直そういう問題が気になっちゃってな〜。わざとなんだとすると、瀬川という「名探偵」は表面的に描かれている以上に、なかなか業を背負っちゃってるように感じる。
自分の知り得た情報の中でしか「真実」を見つけられない(「真実」は実際に起きたこととは限らない)のだが、「名探偵」の役割を背負ってしまったばっかりに、彼女の口が語る「真実」は本当に起こったことだと理解されてしまう。
妹の事件が一番引っかかってるんだけど、あれ、犯人がその犯行を認めてないケースだから、一番厄介だと思う。
瀬川的な推理が意味を持つのは、犯人が自供する場合なんだけど、自供すれば一応「真実」=実際に起きたことの裏付けがとれるし、取り敢えずは丸く収まるわけだよね(ただ、犯人の自供が正しい保証はないので、これも真の解決と断定することはできない)。
ところが、妹の事件みたいに「本人も意識しないまま殺してしまった」という推理の場合、いくら証拠があったとしても、最後の1つとして「それらの証拠は作られたものだった」とかが出てきちゃうとドンデン返してしまう。
いや、ミステリ的にはだめなドンデン返しだけどね。可能性の問題です。
...なんか今回、ダラダラ書いた割に分かりにくい文章でごめんなさい。ちょっと自分でも整理しきれてない。
某推理漫画の決め台詞に「真実はいつも1つ!」ってあるけど、実際に起きたことはたった1つであっても推理がその真実を示してるとは限らない点で、やっぱり「名探偵の不可謬性」はさらに一次元上からの担保がないとだめなんだよなぁ、なんて面倒なことを考えちゃった。うーん。
結局、不可謬の名探偵メルカトル鮎さんや「神様」に行きついてしまうので、私は麻耶信者をやめられません。みんなも読もう、ミステリの極北・麻耶雄嵩。
因みに、「条件が増えると真実がどんどん変わる」といえば「キサラギ」って映画が端的にその問題を扱ってて名作なんで、是非観てください。面白いです。